帰国後の話
お久しぶりです。
もし僕のことを覚えていたら、相当のマニアです。
初めましての人もたくさんいると思います。
今から約6年前に世界一周から帰国しました。
帰国してからブログは更新していませんでした。
その当時は世界一周の一区切りと思ってたんですけど、またブログ書きたくなってしまいました。
僕は世界一周帰国後、実家がある大阪に帰りました。
約300万円あったお金も30万円程度の残金しか残っておらず、すぐに就職活動をはじめました。
私は帰国後、特にやりたい仕事、やりたい分野というものがありませんでした。国家資格も持っていませんでした。
しかし、働かなくてはなりません。
自分がどういったことがしたいのか、他人に評価してもらうため、いくつかの転職サイトにも登録しました。
今まで自分で自分の評価をしたことなかったので、とても良い機会となりました。
数回の面談の結果、僕は営業職で仕事を探すことにしました。
僕の経験が活かせそうな約30社ほどに履歴書を送り、そのうちの1社から内定をもらえました。
8月に就職活動を開始して、内定をもらったのが11月です。
約4ヶ月の時間が必要でした。
僕はこの期間がすごく長く感じました。自分のスキルってこんなにも大切ななんだなと実感する時間にもなったような気がします。
就職が決まったと同時に、出身地である大阪を離れました。
東京に引っ越しました。
いえー。東京きたー。新宿渋谷わっしょーい。
と本気で思いました。
慣れない営業職に格闘しながら、世界一周で知り合った友達たちとも頻繁に会い、充実した生活を送っていました。
そして、2014年9月に結婚しました。
相手は僕のブログの読者だった方なら、分かると思います。
そう、世界一周のモロッコあたりから急にフェードインし、何食わぬ顔でブログの主演へとなった翔子さんです。
二人で川崎市で新生活を始めて、毎日田園都市線の鬼通勤ラッシュに苦しまれながらも幸せで楽しい毎日やったな。
金曜日、仕事帰りに二人で溝の口駅で待ち合わせをし、王将で食べるビールと餃子は最高の贅沢で、月一回行く同じ溝の口にある、ニノ鉄という焼肉屋はこの世の天国とも思える場所でした。
しかし僕たち夫婦は親族もいない、またお世辞にも手に職があるとは言えない営業職に不安を感じていたのも事実です。
ある日、世界一周友達の家でたこ焼きパーティーを行うというので、大阪出身の僕は迷わず参加し、たこ焼きパーティーのイニシアチブを握っていました。
「ゆーきくんは看護師とか向いてるんじゃね?」
一人の看護師が言いました。
「あー向いてるかも優しいしね」
一人の助産師が言いました。
「そうだね、いいと思う」
一人のケアマネージャーが言いました。
「いやっ看護師っていう仕事はそんなに甘くないでしょ」
一人の専門学校の職員がそれらの意見を否定しました。
その時は深く考えませんでいた。
しかし、看護師という仕事を調べてみると、当時27歳の私でも決して目指すには遅くない年齢ということ、国家資格であり、仕事には困らないということが分かりました。
僕が働いていた会社はそこそこブラックでした。妻である翔子さんも心配していました。
7時に家でて、帰るのが23時とかも珍しくないような環境でした。
また、翔子さんの実家はいわゆるサラリーマン家庭ではなく、僕に手に職を付けて、それで仕事をして欲しいと感じていたようです。
2015年3月、僕は妻と相談し話し合った結果、仕事を辞めました。
そう、看護師を目指すためです。
看護師は専門学校or大学を卒業しなければなりません。
当時27歳という年齢だったので、専門学校を候補にし、受験勉強を行いました。
また、僕は東京を離れ、実家のある大阪に、翔子さんは東京に残って仕事と結婚して半年ほどで別居生活が始まってしまいました。
長くなるので、とりあえず今日はここまで!
必ず更新しますからねー。
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