実際に目の当たりにすると興奮しました
世界一周ブログランキングに参加してます! 下のバナーをクリックするとポイントが加算される仕組みです。 読んでいった印に是非ポチットお願いします! 夜行バスでボスニアを脱出するんですが、日中することがもうありません。見尽くしました。こういう時ってみなさんどうしてますか?僕はこう見えても気を使いがちな人間なんでコモンルームにずっと居るのってなんか嫌なんですよね。 チェックアウトしたのになにずっと居とんねん的な。 なので今回も朝10時にチェックアウトしてからバスが出る2時間前の夜8時までの10時間しかコモンルールを使えませんでした。本音は後45分ぐらい使いたかったんやけど・・・。 あぁこういうとき堂々と居れる精神力欲しいです。 10時間という時間を持て余していたので珍しく映画見ました。この日の為に取っておいたノルウェイの森見ようとしたらまさかの音声無し。これ本気で凹みました。取っておきやったのに。 冷蔵庫に入れておいたファミマのエクレアを妹に勝手に食べられた気分です。 あの野郎。ほんま。何をするねん。 仕方が無いので重力ピエロ見ました。結論として岡田将生には勝てない事が判明しました。生まれて初めての完敗です。5回コールド。 もう気持ちいいです。ここまでの負け方やと。 左奥の席でトイレとお昼ご飯を買い行く以外の約9時間40分あそこに座り続けました。これから夜行バス乗るのにすでにおけつが瀕死の状態です。次の国セルビアまで持ちこたえられるのでしょうか。 国境でパスポートチェックがあるんですが、一旦すべてのパスポート又はIDカードを乗客全員分回収し手続きを済ませた後、名前を呼ばれバスのスタッフの元まで取りに行きます。 名前の9割がビッチでした。 旧ユーゴ圏の名前にはなんとかビッチが多いのは知ってたけどいざ目の前にすると興奮した! ヤンコビッチ・ジョコビッチ・ブチニッチ・ユーキって呼ばれた瞬間みんなからの視線感じたし。えっお前ビッチじゃないん?だっせ。ビッチついてないとかだっせ。 実際には思い込みですがそう感じました。 ベオグラードには朝6時に到着。前日に予約してたホテルからレセプションが朝8時からしか開いてないからそれ以降に来て欲しいと連絡受けてたので、適当に時間潰してから約束どおり8時にホテルへ。 まっ予想通り開いてないよねー。8割方こんな展開になるかなって予想してた自分もなんか嫌だよねー。 結局1時間待ってめっちゃキレたろとか思ったんですが、受付のお姉さん超絶いい人やしホテルも綺麗やし朝食付きで6ユーロやし結果すごく満足です。 ネットとかガイドブックによるとベオグラードには見所があまりありません。僕が仕入れた情報によるとスロバキアのブラチスラバ並みらしいです。 ブラチスラバ並みはちとキツイなと思ってたんですが、想像以上に大都会でした。高層ビルが立ち並んでいるし人も多い、旧ユーゴ圏の中で一番の大都市だと思います。 町を歩くとすぐに有名なところまで行けました。 簡単にいうとセルビア南部のアルバニア人(コソボ解放軍)と旧ユーゴスラビア軍(セルビア軍)との戦いでNATO軍がコソボ側の助太刀をしました。 「コソボ側がちょっと独立したいねんけどどう?」ってセルビア側に聞いたら、「無理無理。お前何言ってんの?」ってなってその後色々あって紛争に突入したんですね。これがコソボ紛争。 ほんでなんで空爆になったかというと、第三国の国々(アメリカ・イギリス等)が双方に和平案を提示した訳です。内容はコソボ側に自治を与えるというもの。その和平案にコソボ側はサイン。対してセルビア側はちょっと待てとなりました。所謂拒否です。 拒否するなら力ずくで紛争止めさせまーすってなって空爆開始です。 めっちゃ簡単に説明するとこんな感じです。合ってるかな?間違ってたらコメントください。 因みに現在日本はコソボを国として認めています。 その時の空爆後があの写真です。この建物がある通りは空爆通りと言われています。こんなボロボロの建物ですが、風景に完璧に馴染んでます。違和感がありません。 ちょっとこの問題に興味持ったんでコソボに行くことにしました。セルビアは一泊で終了。この帰りにおっさんにいきなり 「イマハセンゴクジダイデス」 と完璧な発音で言われました。そうなんですか?もう日本をでて半年。急激な時代の移り変わりですね。 最後まで読んでいただきありがとうございます! 上がってきたー! 携帯の方はこちら。 ぽちっとよろしくお願いします。
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